Takenosuke Tuji Collection Gallery

象嵌とは

最初は武具に

 

img_8023象嵌の技術が大陸から日本に伝わったのは飛鳥時代の頃といわれ、奈良時代になると日本独特の象嵌技術が考えだされるようになった。この時代の象嵌は、京都の大枝山古墳から出土した剣に銀象嵌が施されているように、主に刀装具や祭具に用いられていた。
安土桃山時代になると南蛮貿易が盛んになりそれに伴ってヨーロッパから新しい象嵌技術が輸入されて日本の技術はいっそうの高まりを見せた。特に、江戸時代に入ると刀や甲冑に現在では芸術作品と呼ばれているような見事な象嵌が施され、また民間の用具にも使われるようになった。

しかし、明治になって廃刀令が出されると当然のこととして、武具などが必要とされなくなり、もっぱら象嵌技術は装身具などに生かされるようになった。

 

複雑な工程

 

img_8021<京都そーぎんわかばだより>
1983.10のインタビュー記事から・・・

今回お尋ねしたのは京都府象嵌振興会会長をされている辻淳一さんの製造工場(左京区鹿ヶ谷法然院西町)とご自宅です。辻さんに案内していただいた工場では美しい彩色の相関を施したシガレット・ケース、灰皿などの喫煙具、ブローチ、ネクタイ、バッチなどの装身具、飾皿、額などの室内装飾品が作られています。

京都の伝統産業、象嵌の生産では複雑で、おおまかに数えるだけで生地造り、打ち込み、硝酸はたし、錆出しと止め、漆塗り、焼き、磨きで仕上げとなっている。

生地造りは、軟鉄板を用途に応じた大きさに切断し、次にこの鉄板に細い線状を刻み、布目を切り込む。その布目に細い金・銀糸をピンセットで挟み、図面に合わせて小さな金槌で打ち込んでいく。そのあと硝酸で鉄を腐食させ、錆止め、磨きなどの工程を経て美しい象嵌が出来上がる。

辻さんは昭和六年に象嵌師の家に生まれ、第二次世界大戦後から父親について本格的に象嵌技術を学び始めた。そして父親の持つ技術を一通り習得するのに十年近くかかったという。最も難しかったのは布目切りで、その頃の思い出で「教え方は厳しかったですよ。象嵌師として六十年以上生活してきた人間で、本当に職人気質的なところがありました。今でも忘れられないのが布目切りを習っていた時の事ですが、ちょうど夏で今のようにクーラーなどありませんから、金槌で打つたびに汗が鉄板の上に流れ落ちます。それを見て・・・・生地に汗を落とすというのは仕事に真剣味が足りないからだ、職人として失格だ・・・・と形相を変えて怒りましてね。しかし怒られ怒られ身体で覚えたことが、現在本当に役に立っています。」

 

古い技術を大切に

 

img_8026辻さんは自宅のアトリエで仕事の合間に、古くから伝わる京象嵌の技術を生かした作品作りに励んでおられます。今回お訪ねした時も帆船を描いた飾額を制作中で自分の気にいるものを作るために時間と技術を余すことなく使い、売ることを考えずに作っておられ、また先代の作品も晩年の丹精込めたものは数点残しておられます。

そして外国の象嵌技術の研究のため、毎年のように海外に出かけられ、辻さんの部屋には旅先で求めた象嵌作品が部屋に飾ってあり、このコレクションの中にはイランの刀剣、スペインの貴族が使っていたという小物入、あるいはブータンで買った金具に生家の紋章である竜の象嵌が施してあるベルトなど立派な作品が先代の作品とともに収められています。

「京象嵌の技術は世界に誇るものですが、現状に甘んじていると駄目です。象嵌の製法には、糸象嵌、平象嵌、高肉象嵌、布目象嵌、地象嵌とか、溶かしこみ象嵌と言われるように時代によっていろんな技術が考えられてきたわけです。だからこれからも新しい技術は生まれてくるだろうし、またそれは当然なことだと思います。そのために私は外国にも出かけ、立派な古い時代の作品とかを見て歩くわけです。スペインにしても、イラン、インドにしてもこれだけ見事なものがどうして昔の技術で作られたのだろう、と感嘆する作品が多いですよ。だから、その古い技術などが新しい作品づくりに役立たなかな、と考えているわけです。デザインの面でも、京象嵌とは異質の美しさがありますし、これを生かしていくことも、京象嵌の今後の発展に大いに役立つと私は思いますよ。」


昭和五十八年十月「京都そーぎんわかばだより」